Wednesday, January 1, 2014

人の期待を無下に扱う事、扱われる事が多く、諸悪の根源を考える。

他人に期待する気持ちの元には自分の人生への期待もあるように思える。コミュニケーションを第一に考えすぎるがうえに、本質を見失いこちらの立ち位置をブラしてしまう事で、全ての関係性が確固たるものでは無くなってしまうのだ。
しかし、それもそれで、生き様であってそれを認めてもらおうという魂胆もある。そんなことを思いつつも、自己が薄れていくような気配を感じているのは確かだ。
誰しも皆、叶わないと考えつつも、真に自己をさらけだした上で存在を認めてもらいたいという欲求があるようで、何かのタイミングでそれらの思いがダムの決壊のようにダダ漏れる。
それは他人からしたら、至極勝手な意見であり、幼稚で、情けなく、そして何よりも相手への尊敬や慈愛、情けなどが冷める。

恐らく諸悪の根源はこう言った事で、
輪をかけて悪いのは、そのタイミングで表現する必要の無い事まで表に出てしまう事だ。
だいたいの相違はこう言った事から拍車がかかるように思える。

どんな時も気をつけなければならない。
意識をコントロールする事、関係性を考えていること、そしてそれらは未来を考えての行動や意識であることを
忘れてはならない。
違うレベル二つの思いを一緒には考えられない。
思いや考えは地続きであることを確認することが「関係」であり、未来に向かっていく準備であり、未来になるのだろう。

諸悪の根源と解決の方法は、自己を押し付けずに確認をする事が重要なようだ。